昭和四十五年四月十三日
X御理解第七十八節 「人間は人を助ける事が出来るのは有り難い事ではないか。牛馬は我子が水に落ちて居ても、助ける事が出来ぬ。人間が見ると助けてやる。人間は病気災難の時、神に助けて貰ふのであるから、人の難儀と助けるのが有り難いと心得て信心せよ。」
人間は人を助ける事が出来る。牛馬は自分の子が水に落ちておっても助ける事が出来ぬ。人間だけが出来る。ですから、その助けるとゆう事なんですが、いろいろ云わばピンからキリまであろうかと思いますねぇ。
お金の無い人がいよいよ困っている時に、金を貸してもろうた。その人はおかげで助かりましたと、必ず申します。おかげで助かりましたと、本人自身が云っておるのだから、間違いない。
だから、そうゆう程度の助けるとゆう事から、下駄のはな緒を切らして困っている人に、自分の持っておるタオルをさいて、これではな緒をたてなさい。いやあ、おかげで助かりました、とこう云う。
そうゆう事は、やはり牛馬では出来ません。人間でなからにゃ出来ません。ですから、そうゆう事の人を助けるとゆう‥‥‥。
人の難儀を助けるのが有り難いと心得て信心せよ。そうゆうように云わば、親切と云うかね、心をもって人に接する時に、その人が助かる。
けれどもね、私教祖さまがおっしゃる本当の助かりとゆう事は、そうゆう事じゃないと思うのです。いわゆる根本的な助かりだと思うですねぇ、人間のいわゆる根本的な助かり、その根本的な助かりとゆう事は、どうゆう事かと、世の中の多くの人が様々な難儀に、直面したり、又は難儀でないものを難儀と思うて自分だけ苦しんでおるといったような難儀も有ります。
ですから、その根本的な助かりと云うのは、私はやはり、その人の心が救われるとゆう事、心が例えば今迄は難儀と思うておった事柄の中にあっても、それを難儀として見らずに、おかげとして見る。神愛として頂く、そうゆう私は助かり、そうゆう難儀からおかげ頂いていく道をねぇ、つけてあげるとゆう事。 お導きの事でも、私が本当に助からなければお導きも出来ません。私が助からなければ、とゆう事を只その云うなら、お金が出来たとか、病気が治ったとか、信心させて頂くようになって段々、このようなおかげを頂いてきたとゆう、そのおかげを見せなければ人が助けられないとゆう事であっては、これは誰にも出来る事じゃない。
私共は一番難儀が続いておる時、信心しておって、どうしてこのような事が起こってくるだろうかと、ゆうような難儀な事が次々と、起こってくる時、そうゆう時代、とりわけ金銭的な、経済的な面ではもう根かぎりの難儀を致しております時、様々な形で、その難儀がおし寄せておるような時、その時に私は人が助かっておったように思いますねぇ。私の話しを聞いて‥‥‥。
そうゆう人間の難儀の中に直面しながらです。本当に、そんなに有り難いのですかと、人をして云わせる程しに助かっておったんです。私は‥‥‥。
その時分から、縁を頂いて助かり続けておられるのが、北野の中村さん達です。まあだ、私自身がそうゆう人間の悲しい事に次々と出会いながらもです。経済的な上にもういよいよ根かぎりの苦しい修行をさせて頂いておる時です。中村さんと、私の出会いはその時分であった。
けれども、私の心の中に頂いておる信心の有り難さ、信味とゆうものは、中村さんの相談を受けた時にです。けれども、そのおかげをね、その時、その時におかげを、例えば家内が米がもう今晩ぎりにないですよ、と。明日食べるものはないですよと、ゆう時でも、まあ今晩は今晩で今日、おかげ頂いた事をお礼申し上げて、明日は又明日の風が吹こうぞと、まあ心配もせずにやすませて頂いてあくる日はあくる日で又、そこに家族の者が何とはなしに食べる事がなとゆう事がなかったおかげを受けておる時代なんだから。云うなら、その時を受けておる時代なんだから。云うなら、その時、その時にです。行き当たり、ばったりながらも、おかげを受けれる道なら中村さん、私が日々体験しておるから、教えてあげましょうと。
大坪さんもう本当に、そこんところを教えて下さいと、あの時分は大坪さんの時代ですから‥‥‥。それが、私と中村さんの出会いでありました。どうにも出来ない、とゆう時でもです。日々が立っていく、いやそれはもう今晩食べてしもうて明日は食べていくものが無いとゆうような時でもです。やはり、あくる日が立っていくとゆう体験を頂いておったですから、そうゆう道でいいならば私の体験を聞いて下さい。それはああたも立ち行きますよ。おかげが受けられますよ。まあ行き当たりばったりのおかげでよいならばとゆうような意味での助かり。
私自身がそんなら現在このようなおかげを頂いておるから、このおかげを見せて、さあ皆さんも助かって下さいと云うてもです。やっぱり、同じ事なる程、ほーと云うて皆んなたまがりますよ。けれども、そりゃあ、もう先生のごたる信心は出来んけんでと云うてから、もう全然それを聞こうともしなかったら、そこに助かるカギはない。
人を助けうるとゆう事、そこに助かるとゆう事はね、私はそうゆうようなところ、だからそんなら例えばいわゆる押しやりけやりの助かりであってもです。その根本になる信心とゆうものがです。心とゆうものがどのような状態であらなけれ出来ないかとゆう事を、その当時、こんこんと説きました。
一斗の米を買いに行って、ところが帰って計ってみたところが、八升しかなかったと、どうしてどうしてと、どうしてこんなに貧乏せんならんだろうかと、どうしてこのように難儀な事が続くであろうかと、言う前に自分自身の心のやぶれをひとつ発見しなければいけない。
確かに一斗買うてきたのに八升しかない、どうしてじゃろうかと、米屋が計り、そそのうとるとじゃなかろうかと、ゆうようなです。考え方ではなくて、自分の持っておる袋そのものがね。こんな大きな穴があいておったんだもの。ここから道々ずーっとこぼしてきとった、とゆう風にです。分からしてもらうところに、そこをふせていくとゆう信心が有る。
自分の心の破れとゆうものをそこにふせていく、いわゆる改まっていく、とゆう事になるでしょうか。そうゆう意味での云うなら助かっていく為の道をつけてそうゆう意味での云うなら助かっていくと為の道をつけてあげるとゆう、なる程、これも人間でなからにゃ出来ませんけれども、そこにはです。人間が様々な体験を信心の上でも頂いて、本当な事が少しずつ分かってこなければ、自分自身、私自身も助からないし、又、それを聞いて下さる人も助からない。 ですから、どうでもそうゆう意味に於いてです。私共が助からなければいけない。そうすると、皆さんが心の中にです。
私は最近合楽の方達の信心を見ておりますと最近、何か生き生きとしています。中村さんやら、田中さんやら、久保山さんやら、もうとに角ですねぇ、心が生き生きとしてきておる。もう既に心が助かっておられる。言われる事される事が、もう全然違う見ておって感じる。そうゆう心がいわゆるはずんでおる。生き生きとして‥‥‥。
それは現在本当に助かっておられるとゆう事ではなかろうけれどもです。この信心さえしよりゃ助かるぞとゆう、云わばほのぼのとした信心の明かりが見えてきたからなんですよ。はあなる程、親先生の云われる事をよく聞かしてもらうて、朝参りでもさせて頂いたら、これは助かられるぞと、本当の助かりがあるぞと、そうゆう光りが見えてくる。それを最近合楽の方達の上に特に感じる。
何と云うか、しおれた花が水から、離れておったのが、水につけられたような感じ、ずーっと水を吸い上げてきた。生き生きとしてきた、私はそうゆう助かり方を教祖さまは願うておられるのじゃなかろうかと思う。
奇跡的な助かり、なる程、これは信心によらなければ出来る事じゃありませんけれども、そうゆう奇跡的な助かりではないとゆう事。
先日、福岡の川上アキ子さんが母がキトクとゆう電報が入り、里である所の種が島に帰られました。ところが、もうキトク状態が続いて、もう硬直状態になり医者はもう時間の問題だと云うて帰られた。非常に純粋な信心をされる方ですが、十二年間子供の出来なかったのが、福岡の秋永先生の所で私の話しを聞かれて、その事をお願いをされ、もうあくる月から身ごもり次々歳子の子を二人もおかげ頂かれた。もうこの方は、そうゆう奇跡なおかげは非常に受けた人なんです。この二〇年余りの間に。
今度でも、そっちへ行かれたら、もう死んでおられるような中向こうに到着してから、それこそお母さん、お母さんと云うて、おらばれたらね、パチッと眼をあけられた。そして、今迄硬直しておったのがね、又元のごとなられた。そしてから、眼を開けてられてから、しげしげと川上さんを見ござったげな、「アキ子さんようこそ」と云わっしゃったそうです。もう死んじゃると思うとるとがですね。それから、お食事を頂かれるようになり、お話しをされるようになり、だから又医者を呼びに行ったんです。そしたら、医者の言葉がね、「大奇跡が起こりましたね」と云われて、帰られた。
そして、それから四日後にお国替えのおかげを頂いておられますが、それはもう実に神ながらな中に、大体がもう八十幾つにもなられるのです。ですから、遠方におられた弟さん達も来て丁度間に合う事が出来、安楽往生のおかげを受けたとゆう事なのです。ですから、現代の医学をもってしては、どうにも出来ない事をです。そのようにしておかげ頂いて、皆んなが聞いてそれこそ、ほーっとゆうようなおかげ。ですから、そうゆう意味に於いての助かりなら、束の間のものでしょうが、そうゆう意味でのおかげなら皆さんの中にもたくさん有りますよ。
ですから、そうゆう助かりを頂かなければ、信心の話しが出来んとか、人が助けられないとゆう事はない。問題は日々、ここで御教を頂いておる御教が生き生きとして、合楽の方達じゃないけれども、丁度魚が水を得たように、しおれなかった花の水からはなれておったのが、その水を吸い上げる力を頂いたように、生き生きとして人が助かる。その生き生きとして助かってくる。その生き生きとして助かっておる状態その過程においてはです。私が中村さんに申しましたように、私自身も現在、金をたくさんおかげ頂いたとか、家庭の中にこんなおかげ頂いたとか、家庭の中にこんなおかげ頂いたとかゆう事はないけれども、私の心が生き生きとして助かっていきよるから、おしやりけやりじゃあるけれども、こうゆうおかげを受けておると云うて、話しが出来たように、そうゆう私は助かり方を神さまは求めておいでられる。
そしてこれは私が合楽の方達に感じる事なんですけれども、皆さんがそれを言葉で云うなら、どうゆう事かと云うと、これは金光さまの信心させて頂くようになったから、これから、いよいよ助かっていけれるぞと、ゆうような希望が出来てきたとゆう事になる。だから、云わばお参りされる態度でも、全然違う、いわゆる見とって、みずみずしい生き生きしたものをその方達から感ずる事が出来るとゆう事。ですから、そうゆう方達がです。もう、とに角私を見て下さい。私が生き生きしてきた。それは自分では、分からんかもしれません。けれども、心が助かっていく姿を人に話されたら、人は必ず賛同するだろう。金光さまの信心とは? と云て関心を持つようになるだろうと、私は思います。
だから人間は人を助ける事が出来るとゆう事はまず自分自身が、これは自分も、いよいよ助かる事が出来るぞとゆう希望の持てる信心を身につける事がまず先決である。人の難儀を助けるのが有り難いと心得て信心せよとゆう人の難儀を助けるとゆう事は、その難儀の根本であるところをです。助けていけれるだけの私は力を頂きたいと、こう思う。それには、自分自身が生き生きと信心をいわゆる生きてくる事だと、こう思う。昨日は少年少女会の方達の御祈念会でした。今、日曜たんびに集まっております。それでもう、大人と同じ、天津祝詞大祓拝詞そして、天地書附を奉唱して、それから霊様の前では祖先讃詞を、もう声高らかに一生懸命拝む稽古をしとる。
そして昨日ここで御理解を頂きました。木の切り枝に腰を降ろしても立つ時には礼を云う心もちになれよとゆう、あの御理解でしたが。
信心する者は木の切り株に腰を降ろしても立つ時には礼を云う心もち、信心する者はとゆう事。だから、それに対する御理解がこうでした。
価値のあるものに感謝をささげよと、おやつももらう時に、これは信心んの無い者でも、有り難うと云います。例えば云うなら今の申してきました。奇跡的なおかげをもし頂くなら、これは誰だって、馬鹿だってです。広大なおかげを頂いてと必ず云います。
それはね、信心のある者はと、こうおっしゃっておられるが、信心の無い者でも、有り難うとゆう感謝の心が起こるでしょうがです。値打ちのあるものではない。もっと、もっと値打ちのあるものに対して感謝を捧げよ、その第1はね、生かされて生きておる事に感謝を捧げましょう、とゆう事であった。生かされて生きておるとゆうこと。
私はそうゆうような事がです、本当に私は分からせて頂けれるように、もうその人は助かっておると云うてもいいです。本当に自分で生きとるとじゃない生かされて生きておるんじゃなあと。
そうゆう値打ちのある価値のあるおかげに対してお礼が云えれるような助かり方をして頂きたいと思うのです。
願った事が成就しなければ有り難いとは言わん、といったようなね。そんなら信心の無か者でも、言わば子供でもおやつもらう時には有り難うを言う。本当のもの、いわゆる価値のあるもの、本当に値打ちのあるもの、その値打ちのある第1とゆうものはです。何と云うても、生かされて生きておるとゆう事に翻然として気付かせて頂いて、眼がさめた今日もお生かしのおかげを頂いておる事に、お礼が申し上げれるような信心。
価値のあるものに感謝を捧げよと、価値あるものに感謝が捧げられる程しの信心。段々分かってくる時に人の難儀を助けるのがとおっしゃる、難儀にでも、本当な事が分かってくるから、その事に対してお礼が言えれるようになる。やっぱり価値あるものに対する感謝ですよねぇ。価値あるものに感謝を捧げられておる者が、どの位有るだろうか、お道の信奉者の中に‥‥‥。
その位に本当の助かりとゆうものが、翻然としたものになっていないとゆう事になります。昨日、私は今度御本部で買わせて頂いた、佐藤元範先生のお書物を読ませて頂いて非常に感激した。その朝のお話しはまず学院長の佐藤博敏先生のお話し、ほんの三日前正月あけの五日朝、先生自ら出会われた生々しいお話しであった。
Z『未知の青年、その人は人生に破れ、某宗教の信仰に裏切られ、肺結核に悩む身を持てあましてふらふらと金光へ立ち寄ったのである。その身の上話しを聞き、先生自らの体験と信仰を語られた(佐藤先生も、肺結核でもう死の寸前からおかげを受けられた方なんですよね。だから自分の体験を話されたとゆう訳なんです)。そして、何よりもまず郷里新潟までの旅費はどうぞ私に出させて下さい、と頼んで佐藤先生が出された。かたわらにいた学院生が、その人の荷物を持って金光駅まで送った。その人は金光駅まで送った。その人は金光駅の人混みの中で声を出して泣き佐藤先生は神さまじゃ、と云いんがら汽車に乗った』とゆう事。
御自身の体験を語られて、そして新潟迄とに角郷里に帰って養生しなさいと、それが先決だと、どうぞあなたの旅費は私に出させて下さい。と云うて、男泣きに泣いたとゆう、その自分が二、三日前に体験された。その体験を朝の教話に話されたらしい。
私ここを読まして頂きよって、どうぞ私に出させて下さいとゆう事ですねぇ、そんなら私が出してあげましょうたいと、だから家に帰りなさい、といったようなものではなかったとゆう事です。
私は金光さまの御信心がね、この辺のところ、障子、ひとえがままならぬ人の身じゃと、あなたのおかげを頂かなければ立ち行かん私なのだ、と。そんならここに持っているお金だって、これは実は私のものじゃないのだと。そんなら、と云うてあなたのものでもない、だから出させて頂く。出してあげるのじゃないとゆう事。
私はこうゆう助かりをですねぇ、お互いが求めていきたいと思うのです。私は助けてあげましょうとゆうのじゃない、私がおかげを頂いて助かっておる、その内容をです。これを出させて下さいとゆう事なんだ。そこにね、相手の立ち行くおかげと云うのか、自分自身も又助かられる、そして相手に佐藤先生は神さまじゃと。もうそこには、佐藤博敏とゆうものはない。いわゆる、神さまとその新潟に帰る青年とが一つになっておる、そうゆう助かりをです。私共は求めての信心を頂いていきたい。
私共が段々、信心をさせて頂きましてね、価値のあるものにお礼の言えれるような信心をまず身につけたい。おやつをもろうて有り難いとございますだけを云うなら、広大なおかげを頂きまして、有り難うございますと、云うと、今度は自分の思うようにならんとは、広大なおかげじゃないように思うからかえって不平不足を云うような、そうゆう信心では、いつ迄たっても駄目だとゆう事、本当の助かりにはならないとゆう事。そこでです。昨日、私はお話しを聞いて頂く中に、食物訓をもって聞いて頂きましたですねぇ。「食物はわが心で毒にも薬にもなるものぞ、何を飲むにも食ふにも有り難く心を忘れるなよ」
「体の大尺を願え、体を作れ、何事も、体が元なり」
これを昨日から頂きますように、食物は命の糧でありますように心の糧とゆうところに置き替えてここを頂きますとです。
食物はわが心で毒にも薬にも、と例えば心を育てて下さる難儀と思うておった、その事柄がです。その頂き方です。それは毒にも薬にもなるものだと。その事によって悲嘆する人もありゃあ、その事によって悲嘆する人もありゃあ、その事によって歓喜の涙のこぼせる程のおかげも受けられるんだと。
何を食ふにも有り難く心を忘れるなよ、ですから、どのような問題であってもです。心の糧として頂く時に、好き嫌いは云うてはおられない、にがいものの時には、くさいものの時には、心が健全になるんだ。心の胃腸が云わば健全になっていく時だと、にがいものでも、くさいものでも、云うなら何もかにも有り難い頂く心を忘れなよとゆう事を忘れてなりません。
体の丈夫を願え、いわゆる心の健全を願えとゆう事、体を作れ、何事も体だ元なり、と、心を作れ、全ての人間の幸福の基礎土台とゆうものは、そうゆう心に有るんだと、和らぎ賀ぶ心。
体を作れ、何事も体が元なり、とんここでは言っておられるのを心の健全を願え、人間の幸不幸は、自分の心の健全不健全によるものだから、どうぞ私の心を健全にお育て下さいとゆう祈り、願い、又そうゆう修行、そうゆう稽古をさせて頂かねばならんとゆう事になりますね。どうぞ。